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月照僧

2015.04.11

今日は昨日お話しした”月照僧”(げっしょうそう)のご紹介。

 

お顔はこんな感じ。

 (聡明そうな顔してるなぁ)

 1813年に町医者の長男として産れます。

 15歳の時清水寺成就院に入り、7年後の22歳に住職になりました。

 

当時の清水寺成就院は薩摩藩と関係が深く、そこで西郷隆盛との関係を深めていきます。

西郷は月照僧に朝廷から幕政改革を呼びかける「水戸密勅」を打ち明ける程の仲になっていたのです。

その密勅が井伊直助の情報網に引っ掛かり、関係者が捕まります。

これが「安政の大獄(あんせいのたいごく)」の始まりです。

 

京に居れなくなった西郷と月照僧は薩摩に逃げるのですが、月照僧には入国の許可がでません。

西郷が懇願する中、月照僧はなんとか薩摩に入国。

それを知った薩摩藩は西郷に月照僧を殺すように命じます。

そんなことができない西郷は、月照僧と共に日向(現宮崎)に向け船をだしました。

その途中、西郷と月照僧は身を重ね海へと身を投げるのです。

その後、懸命の捜索で2人とも発見されますが、西郷は生き残り月照僧は亡くなりました。

 

そんな月照僧は出家する際にこのような言葉を残しています。

「男子、志を立てて郷関を出ず、学もし成らずんば死すとも帰らず、

 骨を埋ずむるに、あにただ墳墓の地のみならんや。人間いたるところ青山あり」。