10月16日は「世界食糧デー」でしたね!
飢餓や栄養不良をなくすために、国連が定めた国際的な記念日です。
ニュースを見て、ふと考えました。
――食べものに困らない私たちの国では、「食の問題」はもう解決されたのだろうか。
貧困層の「食の問題」はまだありますが、多くのかたには解決された問題のハズ。
けれど実際は、別の形の「飢え」が、静かに広がっているようにも思います。
日本では食べるものがあふれ、どこに行ってもおいしいものが手に入ります。
SNSを開けば、映えるスイーツや話題のグルメが次々に流れてくる。
なのに、なぜか心は満たされない。
食べた直後からまた別の“刺激”を求めてしまう。
それはまるで「情報」や「人間関係」にも似ています。
常に何かを見て、取り入れて、繋がっていないと落ち着かない。
満たされているはずなのに、どこかに欠乏感が残る。
この“満腹なのに飢えている”感覚こそ、現代の新しい「飢え」なのかもしれません。
最近の若い世代では「人付き合いが疲れる」「誰にも本音を言えない」という声をよく聞きます。
たくさんの人とつながっているように見えても、深く関わることが怖い。
SNSでいいねをもらっても、なぜか虚しさが残る。
まるで食事でいえば、“栄養よりもカロリーを摂っている”ような状態です。
つながっているけれど、養われていない。
会話をしているけれど、心は触れ合っていない。
それは、現代の人間関係が「量」に偏り、「質」を失ってしまったことの表れではないでしょうか。
人は本来、関係性の中で安心感や信頼を得て生きています。
けれど、比較・承認・効率が優先される社会では、その土台が崩れやすい。
結果として、孤独や不安、過剰な自己責任感が増し、
「ちゃんと生きなきゃ」「頑張らなきゃ」と自分を追い詰めてしまう。
それは、体でいえば“栄養失調”のような状態です。
外からは十分に満たされているように見えても、内側はスカスカ。
心がエネルギー不足を起こしている。
世界食糧デーの原点は、“足りない人に分け合うこと”です。
でも今の私たちが見つめるべきは、
「どれだけ持っているか」ではなく「どれだけ感じられているか」かもしれません。
食べものも、情報も、人間関係も。
多すぎると、ありがたみも、味わいも、感謝も薄まっていく。
それは“飽食”という名の鈍感さです。
だからこそ、まずは一歩引いてみる。
スマホを置いて、誰かとちゃんと話す。
静かに食事をして、味を確かめる。
そんな“感じる時間”が、心の栄養を取り戻す第一歩です。
世界のどこかでは食べるものがなく、
日本では食べすぎと孤独が同時に問題になっている。
それは、物質的な「飢え」と精神的な「飢え」が、
形を変えて同じ根にあることを教えてくれます。
「食べる」という行為の奥にある“心の飢え”にも目を向けてみるといいかもしれません。
それは、他人のためでも、世界のためでもなく、
自分自身をもう一度“満たす”ための小さなきっかけになるはずです。