
ちょっと空いてしまいましたが、前回の話。
前回は第二章までで、華岡青洲の熱い話で終わりましたね。
今回は第三章から。
この章は漢方薬や湯治など健康法や養生法の話が中心に展開されていました。
私が最初に目についたのは、「江戸買物独案内」
この本は現代で言う、TokyoWalkerですね。笑
江戸の買い物ガイドブックで、上下・飲食の3冊からなる本で、その中に薬問屋・薬屋の項目があります。
上巻に50店、下巻に200店の記載があったそうで、江戸で盛んに薬が売られていたようです。
ただ、ここには住所や店名、取り扱い薬品が載っていました。
多くは『合わせ薬』というものが多く、家に常備しておくお薬が多かったようです。
私が小学生ぐらいの時には、薬箱があってその中に色々な常備薬が入っていましたが、その名残なのかもしれませんね!
このように常備薬、置き薬の必要性に迫られていたのには、町医者が少なかったことも大きく関与しているそうです。
他には江戸時代では洗顔や歯磨きなど、身体を清潔にする習慣があったそうです。
この頃にはすでに歯磨き粉があったことには驚きましたね。笑
また義歯も巧妙に作られていたそうで、柳生家の義歯が発見されており、当時の西洋義歯はスプリングを付けて落ちないようにしていたが、つげの木で作られた義歯は、口に合うように作られ、上顎に吸着して簡単には落ちないようになっていたそうです。
江戸の職人が巧妙に作っていたのが伝わるエピソードでした。
また、江戸時代の養生法として湯治が紹介されていました。
湯治といえば香川修徳が箸書の「一本堂薬選・続編」(1738序)があります。
香川修徳は後藤艮山の門人で、古方派といわれる先生です。
他に、儒学も重要視し儒学と医術は一本として学ぶべきであると儒医一本説を主張しました。
また、師匠である後藤艮山の温泉の医学的効用を実証的に発展させました。
ここでは、江戸時代に流行した『はやり病』についてまとめられていました。
代表的な麻疹、天然痘、梅毒、コレラなどが紹介されています。
これらの病には中々対応が難しく、沢山の死者がでたそうです。
その中でも香月牛山(かつきぎゅうざん)(1656-1740)は半年余りの間に麻疹の患者さん530人ぐらいの治療をして、1人も死者をださなかったそうです。
このように。はやり病に対して上手に治療した先生もいたようですが多くは亡くっていったそうです。
そこで蘭学が徐々に活躍し、次第に認知・大衆化していくといったわけです。
ここの章で紹介されている病は、東洋医学が上手く対応しきれなかった病なんだと思います。
この点に目を付けた漫画が、ドラマ化もされた『JIN‐仁‐』です。
凄く有名な漫画なので読んだことがない人はぜひ目を通してみて下さい。