――貝原益軒『養生訓』と、現代の血の消耗――
不安感が強くなると、多くの人は「考え方を変えなければ」「心を強くしなければ」と思います。
しかし東洋医学では、不安を心だけの問題として切り離して考えることはほとんどありません。心と体は常に影響し合い、体の状態が崩れれば、心の感じ方も自然と揺らぐと考えます。
この考え方は、現代に突然生まれたものではありません。
江戸時代の儒学者・本草学者である貝原益軒は、その著書『養生訓』の中で、病気の治療法以上に、日常生活の在り方が心身に与える影響について繰り返し語っています。
『養生訓』を通して読むと、益軒が強く警戒している対象は、特定の病名や症状ではありません。
彼が繰り返し指摘しているのは、心を使いすぎる生き方そのものです。
益軒は次のように述べています。
「思慮過度なれば、心神つかれ、気血を損ず」
つまり、思い悩みや考えごとが過ぎれば、心だけでなく、気や血といった体を支えるものまで消耗してしまう、という認識です。
ここで語られているのは、精神論でも、性格の良し悪しでもありません。思考の量や使い方が、はっきりと身体の消耗につながるという、非常に現実的な見方です。
ここで、一度視点をひっくり返してみる必要があります。
益軒が問題にしたのは、心が弱い人ではありませんでした。むしろ、よく考え、先を案じ、失敗しないように心を張り続ける人です。
考えること自体は悪ではありません。しかし、常に頭を働かせ、気を配り続ける生活は、気づかないうちに血や精を削っていきます。
益軒の目には、真面目で責任感が強い生き方こそが、もっとも静かに消耗を進めるものとして映っていたと考えられます。
東洋医学でいう血虚や陰虚の状態になると、人は心を落ち着けようとしても、それがうまくできなくなります。
夜になると考えが止まらず、些細なことが気になり、何かしていないと不安になる。これは「気にしすぎ」や「性格の問題」ではなく、心を安定させるための材料が体に足りていない状態です。
益軒が繰り返し説いた「心を静かに保て」という言葉は、感情を抑え込めという意味ではありません。これ以上、血や精を消耗させないために、生活そのものを落ち着かせるべきだ、という実践的な助言でした。
『養生訓』では、夜の過ごし方がとくに重視されています。
益軒は次のように述べています。
「夜は静を主とすべし。労すれば精を耗る」
夜は体を回復させる時間であり、その時間に心や頭を酷使すれば、精や陰が回復する余地がなくなるという考え方です。
ここで言う「労」とは、肉体労働だけでなく、考え続けること、気を張り続けることも含まれます。
この視点から現代を見直すと、ひとつ気づくことがあります。
スマホやパソコンに囲まれ、夜遅くまで情報を追い、考え続ける生活は、益軒がもっとも警戒した「夜に心を働かせ続ける生き方」そのものです。
しかも現代では、それを努力や仕事熱心さ、あるいは自己管理の一部として評価します。
つまり私たちは、血や陰を消耗させる生活を「ちゃんとしている証拠」だと誤解しているとも言えます。
東洋医学では、目は血と深く関わる器官だと考えます。
画面を見続け、文字を追い続け、思考を止めない生活は、知らず知らずのうちに血虚や陰虚を進めます。
不安が増えているのは、現代人の心が弱くなったからではありません。
血を休ませる時間が、圧倒的に減ったという環境要因のほうが大きいのです。
益軒の養生は、とても地味です。
夜は静かに過ごし、思慮を増やしすぎず、無理に動かず、生活を淡々と保つ。
しかしこれは、心を放置する態度ではありません。
心が乱れにくくなるよう、体の消耗を止めるための具体的な生活戦略です。
――300年前から、答えはほとんど変わっていない――
貝原益軒は、不安を心の欠陥とは考えませんでした。
不安は、思考や刺激によって血や陰が消耗した結果として現れる自然な反応であり、対処の方向は心ではなく生活に向かうべきだと考えました。
スマホとパソコンに囲まれた現代だからこそ、
心を変えようとする前に、血を守り、夜を静かに過ごす。
この養生は、むしろ今の時代にこそ現実的な選択肢だと言えます。