ここまでの話。
今回は”中秋の名月”の歴史について。
中国では古来から月を見る風習があり、奈良時代~平安時代によって伝わった説が有力。
その頃は貴族の風習でしたが、江戸後期には一般庶民に”収穫の感謝”として広がったようです。
なぜ”収穫の感謝”となったのか?
それは江戸時代は旧暦を暦とし、月の満ち欠けによって季節を感じていました。
季節に合わせて農作業するので、農民にとって月は欠かせない存在となったわけです。
当時は収穫した芋を煮てお供えしていましたが、その後月見だんごへと変化したそうです。
ちなみに月見だんごは十五夜にちなんで15個お供えするそうです。
少し話は変わりますが、ヨーロッパにも似たような風習があります。
秋分に一番近い満月を”収穫月”と呼び、その次の満月を”狩猟月”と呼ぶそうです。
文化的つながりが少なそうなヨーロッパでも似たような風習がある。
人種や文化が違っていても、人間として感じることは似ているのかもしれませんね。